再読『二百十日』

 先日(2015年9月14日)の阿蘇山の噴火のニュースを聞いて、ある本を久しぶりに読み返したくなりました。夏目漱石の『二百十日』です。漱石は熊本の第五高等学校在職中に阿蘇を旅しています(山頂に登るのは断念した模様)。『二百十日』はこのときの経験をもとに書かれた作品です。仕事帰りの電車内で、青空文庫から手元のiPhoneにダウンロードしてざっと読んでみました。
 初めてこの小説を読んだのは高校生の頃。1980年代ですねえ(笑)。今これを読み返してみようと思ったのは、テレビのニュースで現在の阿蘇山の様子を見てふと「漱石が見た阿蘇の風景はどんなものだったのだろう」という興味がわいたからです。

 しかし読んでみるとなんかエラいことが書いてある。夜の風景の描写で「奈落から半空に向って、真直に立つ火の柱」などという表現が出てきます。立ちのぼる噴煙が赤熱した溶岩に照らされて赤く見えるさまを描いたものかと思いますがこれ入山規制とか避難勧告とか出るレベルなんじゃないの。のんきに旅行なんかしてて大丈夫なのかな。

 漱石が五高の教師となったのは1896年。阿蘇山 | 阿蘇ペディアによれば、阿蘇はその2年前の1894年に噴火、その翌年の1895年には大爆発(!)。その2年後の1897年にも噴火を起こしたとあります。そして彼の阿蘇旅行は1899年の8月29日から9月2日にかけてのことだそうです(二百十日 (小説) - Wikipedia)。まだ火山活動は活発だったんじゃないでしょうか。
 ちなみに彼は1896年に結婚し、1899年の5月には第1子(長女)が生まれています(夏目漱石 - Wikipedia)。無茶するなあ漱石

 その後、イギリス留学を経て東京へ戻った漱石が『吾輩は猫である』の連載を雑誌『ホトトギス』に開始して小説家の道を歩み始めるのが1905年。『二百十日』が発表されたのはその翌年、1906年の10月です。ここで再び阿蘇山 | 阿蘇ペディアを見てみますと、1906年、「6月7日阿蘇山爆発、新火口出現」とあります。新火口!

 漱石もこの報に接したとすれば少なからず驚いたことでしょう。そして、現地の状況に思いを馳せつつ、「自分の思い出の中の阿蘇」を、当時彼が手がけ始めた小説という形式で表現しよう、と考えて『二百十日』を書いたのかな......と、このあたり私の勝手な想像ですが。

 ......おっと、肝心の小説の方を飛ばし読みのまま放置していました。iPhoneでは字が小さくて読みづらい(そういう歳になりました(^^;;)ので、iPadにダウンロードし直して改めて読むことにします。これを機に、他の漱石作品もぼちぼちと読み返していこうかな。