Instagram、おもしろい。

 iPhoneを使い始めてから、そろそろ2年になります。最初の頃は身近にはユーザーがあまりおらず、街中でもあまり見かけなかったのですが、この夏に新機種が出たのをきっかけにユーザーがぐっと増えたのではないかな、という印象を受けます。
 職場でも、いつも一緒に仕事をしている大工さんがiPhone4に機種変更したほか、営業の若手の諸君も何人かiPhoneユーザーとなったようです。先行してiPhone3Gを使用し、4へ機種変更したのも周囲より早かった私は操作方法等について質問を受ける事も多いのですが…、私だってiPhoneの機能を隅から隅まで知り尽くしているわけではないので、難しいですね(^^;;。時々うっかりして嘘を教えています(^^;;;;。

 ていうか、Macユーザーの私にWindows PCと同期させる方法とか訊かれてもわかんないですし(-_-;;。

 iPhoneが普通のケータイと違う、と戸惑う人に対して、私は「iPhoneは携帯電話ではない」と説明しています。いやまあケータイじゃない、と言い切ってしまうとちょっと言い過ぎかもしれませんが、「無線データ通信を行うために3G回線に接続する機能を備えたポケットサイズの情報機器」で、「その機能を活用して音声通話もできる」と考えると良いのではないか、という事です。


 さて、iPhoneで楽しめるサービスで最近面白いのが『Instagram』。専用アプリを使って写真を撮影し、投稿・公開できるサービスです(今朝がた撮った写真→)。
 写真を投稿・公開できるサービスは他にもいろいろありますが、Instagramが特徴的なのは、高解像度の画像を扱わず、iPhoneのディスプレイ上で表示できる程度のサイズの画像のみに限っている事。iPhoneのカメラはより高解像度の写真を撮影できるのですが、Instagramでは、投稿の際にサイズを縮小されて送信されるようです。
 写真に関するサービスなのに、あえて高解像度の写真を扱わないのは、「撮った写真を公開するために送信する」「システムにアクセスして公開されている写真を閲覧する」この二つの操作をなるべくストレスなく行えるように、という配慮によるもののようです。ですから、自分が撮った写真は速やかに送信されて公開されますし、他の人が撮った写真も、その人をフォローしていれば投稿された直後に閲覧できるわけです。誰かが今しがた見たばかりのものを自分もすぐに手もとのiPhoneで見る事ができ、自分が今見ているものも数秒後には他の人たちに見てもらうようにできる、という事なんです。
 Ustreamなどのサービスにくらべればリアルタイム性という点では劣りますが、サイズを縮小しているとはいえやはり写真の方が圧倒的に画質が良いですから、見たものを見たままに伝える事では優れていると思います。

 Instagramには面白い機能がもう一つあります。アプリには写真に特殊効果を施すフィルタが11種類装備されていて、撮った写真がそのままでは味気ないかな、と感じたら、それらのフィルタで画像を加工する事もできます。


 例えば、左の写真を右のような感じに加工できたりとか。


 カラーをモノクロに変えるだけでも印象が変わりますよね。

 写真の撮影、画像の調整・加工、無線でのデータの送受信。Instagramは、これら全てをこなせるiPhoneならではのアプリ、と言ってよいと思います。

 Instagramのfeedを眺めていて、いいな、と思った写真があれば、"like"をタップして、投稿者にその写真を自分が気に入った事を伝えることができます(特に言葉で伝えたい事があればコメントを付ける事もできます)。ただ、気に入った写真を、例えば『お気に入り』のようなものにとりあえず登録しておいて後でじっくり鑑賞する、ということはできません。
 また、自分が撮った写真はiPhoneの「カメラロール」内に保存されますが、他の人の写真をダウンロードして保存しておくことはできません。Twitterや、FlickrTumblrと連携させてそちらへ写真を送る機能があり、そうやって送られた写真はPCのWebブラウザで表示させて画像を『右クリックして保存』できるのですが、Instagramは基本的に、iPhone上のみで提供されているサービスです。iPhoneでアプリを使って見ていても、その写真が他サービスへ送られているかどうかはわかりません。

 つまり、他の人が投稿した写真は「あとで見る」という事ができないのです。

 アプリの画面を一番下までスクロールしていくと現れる"Load more..."という表示をタップすれば、それより以前に投稿された写真を読み込む事はできます。しかしそうこうしている間にも新しい写真が次々と流れてきます。流れて来た写真は、いま見ておかなければ見逃してしまう、と考えた方がいいでしょう。

 これらの仕様を、『改善すべき問題点』と考えている人もいるようなのですが、私はむしろこの点でInstagramを面白く感じています。これは現代の最先端のネット利用者のスピード感に合わせた仕様なのかもしれませんが、私の心には『一期一会』という古い言葉が浮かんでくるのです。
 身近な物事にささやかな美を見出し、その感動を親しい人々と共有する、そんなひとときをかけがえのないものとして大切に思う──『一期一会』。千利休のめざした茶の湯の精神を言い表した言葉ですよね。
 ネットの向こうの誰かが今ふと心動いて撮った写真が、そのときたまたまアプリを立ち上げた自分のiPhoneに送られてきて、それを目にした瞬間、私自身も撮影者と同じささやかな感動を共有する。これも『一期一会』というものではないかなあ。


 …などと言ったら大げさ過ぎますかねえ(笑)。(夕暮れ時、自室の窓から撮った写真→)

 ところで、上でも少し触れましたが、Instagramは現在iPhoneiOS対応機種のみ対応のサービスとなっています。これがちょっと残念。他の携帯機器にもサービスが提供されればより多くの『出会い』があると思うので、AndroidWindows携帯などにも対応して欲しいところですが、いまのところそのような話はない模様。
 私は、Web上でのサービス提供は不要だと思いますが、多種多様な携帯機器でも共通して利用可能な場はどこか、という観点から見るとやはりWebでの展開がとりあえず手っ取り早いのかな、と思ったりして。

 ただそうなると私の考える『Instagramらしさ』からは遠ざかってしまうかなあ。

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追記(2011/11/23)

 この記事を公開してから1年が過ぎました。Google Analyticsによれば、あまりアクセスのない(笑)私のブログの中で唯一よく読まれているのがこの記事のようです。
 読んでいただいているのは嬉しいのですが…、しかし、Instagramの機能・使用法などについてお知りになりたければ、私の記事なんか読むよりも、Instagram公式のヘルプを参照したほうが良いと思います(^^;;。記事本文には現状とは合わない古い内容も含まれておりますし。
 アプリの『@(ユーザー名)』のメニューから『アプリについて』→『ヘルプデスク』へと進むとSafariが起動してサポートセンターのページが表示されます。全編英語ですが、要所要所に画像も添えられていますし、英語にそれほど堪能でなくてもがんばれば読めない事はないでしょう(私も英語力は低いです)。

 作業が面倒なのと、ちょっと思うところもあって、本文は書き直さない事にしたのですが、多くの方が興味をお持ちらしい事柄について、少々付け足しを。

 フィルター処理済の画像を公開する事なく保存する方法について。以前はこれができたのですが、現在はその機能が省かれているようです。これは私も残念に思います。もしかしたら以前とは異なる手順が必要なのかもしれませんが、私もそのへん把握しておりません…。

 また、他のユーザーの画像を保存する方法について。Instagramにはこの機能はありません。これは上記のサポートセンター内の記事に明記されています。
 このブログ記事本文に記した内容にも関連しますが、私自身は他のユーザーの画像を保存する機能は不要だと思っています。どうしてもそうしたければ、お気に入りの写真をきっちり表示させといてそのスクリーンショットを取っとけばいいんじゃないですかねー。どうせ、公開されてるのは612x612に縮小された画像ですし。それで十分でしょ。

 もっとスマートな方法もいろいろあるかとは思うのですが、ご自分でお考え下さい。サポートセンターの "Community Guideline" には、"Don't post photos you didn't take"(自分で撮ったのでない写真は投稿しない)とあります。個人で楽しむ程度なら手もとに保存しておくのもいいと思うのですが、“自分で撮ったのでない写真”を盗用する行為を助長したくはないので、この件についてはここで話を打ち切ります。愛想なくてすみません(^^;;。

コンサート終わりましたー

 えー…、今朝から腰が痛いです(て記事の1行目がこれかい!)。

 昨日の事、「おとのもり一家 もうひとつの音楽会 No.9」、滞りなく行われ盛会のうち終了いたしました!

 会場はここ何回かお世話になっている中川文化小劇場と違って、今回お初の港文化小劇場でしたので、勝手が違って戸惑ったり逆に新鮮だったり。楽屋の使い勝手とかね。広ければいいってものではなく、狭いながらの工夫があったりとか。

 「狭いホール」って、嫌いじゃないです。むしろ好き。ていうか『おとのもり』に参加するようになって、好きになったかな。

 愛知県芸術劇場の大ホールとか…、いや、素晴らしい施設ですよ、ですけど。
 ステージと客席の間に、見えない壁があるような気がしてしまうのです。ある種の断絶を感じます。画面枠のないテレビ、という感じかな。

 …悪口言い過ぎかな(^^;;;。

 舞台も客席も狭いホールが好きです。来て頂いたお客様お一人お一人の表情まで伺えるくらい小さい規模のホールが。

 …あのね、「演奏者は演奏に集中してて客席なんか見てないだろ」って思ったら大間違いですからね!(笑)見ますよ。少なくとも私は見てますし、気にしてますから。「お客様に、楽しんでもらえてるかなあ」、って。気になります。
 ウケをとりにいくの、結構好きなんです。だって楽しい方がいいでしょう?やれればギャグもやりたいです(笑)。ただ吉本ばりにコケると楽器壊れますのであまり無茶はできませんが、しかし演奏が「あの程度」ですからね(^^;;。何か付加価値がないと申し訳ないような気もします。

 …つか無茶したらさらに腰痛ひどくなるっつーの。

 『おとのもり』のコンサートは入場無料です。しかしお客様には会場まで足を運ぶ手間、及び、演奏を聴くお時間を割いていただく、というご負担をお願いしています。金銭は払い戻しもできますが、手間や時間は払い戻しができません。プロ/アマに関係なく、舞台に立つ人はこの事を忘れてはいけないと思います。
 そういう視点で、私は「お客様に楽しんでいただけているかどうか」、が気になるのです。

 昨日のコンサートに来ていただいたお客様に、そして、私をいつもコンサートの仲間に迎えて下さる『おとのもり』の皆様に、深く感謝しています。

 …楽しかったね(^^)!

おとのもり

 先日の記事「おとのもり一家 もうひとつの音楽会 No.9 - GEN’s BlogHouse」で告知したコンサート、いよいよ明後日に迫ってきました。毎晩、翌日の出勤の準備を済ませたあと、少しずつでも練習しています。

 ここで、「おとのもり」について。
 「おとのもり」っていうのは、私の知人の富田さんが個人で開いている音楽教室です。『音楽工房 おとのもり』。
 そういえば「おとのもり」とのおつきあいも、遡ればもう前世紀からの事になるなあ(遠い目)…って、2000年からの事だからちょっと表現がオーバーだな(^^;;。でももう十年になるのかー。

 「おとのもり」を主宰する富田さんとの出会いはさらにそれから4年前に遡ります。
 日本女性作曲家連盟(リンク:http://music.geocities.jp/fwcj1981/)という団体が、名古屋市で『大人のための おんがくのおもちゃばこ』という名のコンサートを、1996年から2年もしくは3年おきに行っています。これは、アマチュアの音楽愛好家が出演者となり、日本女性作曲家連盟所属の作曲家の先生方が書き下ろした曲を演奏するコンサートで、近くは今年の8月に第7回のコンサートが開かれました。
 私も富田さんも、この『おもちゃばこ』の第1回のコンサートの参加者でした。

 コンサートの終わった後も、このコンサートの出演者たちは、年に一回、“同窓会”ということで、作曲家の先生方、賛助出演のプロの演奏家の先生方を囲んで、集まって演奏を披露しあう場を持っています。数年前からは同窓生有志で合奏団を結成して、『おもちゃばこ』の舞台で演奏を披露してもいます。

 1998年に行われた同窓会で、(拙いものではありましたが)コントラバスの独奏を披露したところ、富田さんから「今度音楽会を開くのだけど、子供達にもその大きな楽器を見せてあげたいから、それ持って参加して」とお誘いを受けました。
 ただそのときはお断りしたんですね。でも翌年の同窓会で再度のお誘いを受け、「まあ、せっかくのお誘いだし」ということで初めて参加させていただいたのが2000年の6月。以来、音楽会には毎回呼んでいただいています。

 最初に誘われたときなんで断ったか、っていうと、“音楽教室”っていう単語に反射的に嫌悪感を持ってしまったから、ですねー。
 幼稚園の頃、ヤ◯ハオルガン教室に通って(通わされて)いたのですが、はっきり言って楽しくなかった。オルガンを弾くのは楽しかった!けど、「おしゃべりしてないでまじめにレッスンを受けなさい」なんて親に叱られると、ねー。萎えるよね。
 「仕事がいま忙しいので」とかなんとか言い訳をして、そのときのお誘いはお断りしました。

 1999年に再度誘われたとき、「お断りしてもそれでもまた誘っていただけるのはありがたい事」、と一応OKとお答えしました。でもまだ迷ってた…。

 決断を迷った要素は幾つかありますが、その一つは「小さいお子さんとの共演」。と言いますか、お子さんに限らず、まだ楽器を始めたばかりで演奏に不慣れな方と一緒に弾く場合、ということですね。こういう場合どのように対処するか。
 この件に関しては、原則として「相手に合わせる」という考えでやっています。その子の演奏が止まっちゃったら自分も止まる、転んだり走ったりしたら自分も転んだり走ったり。「おとのもり」への参加当初には「これでいいのか?」と迷いもありましたが、現在は「これでいいのだ!」と確信をもってやっています。

 ただこういうやり方をすると、場合によっては曲の体裁をなさなくなってしまうおそれもありますが、実際の演奏では、最小でも “富田さん” “子供さん” “私”、の3人のチームで演奏するので、演奏を引っぱっていく役目は富田さんにやっていただけばいいかな、と思っています(これは、ちゃんと打ち合わせしてるわけではないです)。子供さんの一歩手前を富田さんに歩いて導いてもらって、自分のコントラバスは子供さんの一歩後をついて歩く感じですかねー。お子さんにとっても、どこの馬の骨ともわからんオッサンに出しゃばられるより、いつも優しく接して下さる「とみたせんせい」にリードしてもらった方がいいと思うんです。

 という訳でここで一言申し上げておきますが、ベース弾く人って結構いろいろ考えてるんですよ(笑)。単純なフレーズをぼおっと弾いてるだけのように見えますけど、ね。

 「おとのもり」は普通の音楽教室、例えば音大を目指す人が学ぶようなところとは少し違っています。ただ音楽を学ぼうという人ばかりではなく、むしろそうではない色々な人と接する事になります。正直、こちらもどう対応すべきかとまどってしまう時もあります。

 変な言い方ですが、私は、「おとのもり」では“いわゆる「大人の対応」”をしないように心がけています。ええと、「大人げない事をする」という意味ではないですよ(笑)。
 「上っ面を取り繕う」「小手先器用に処理する」よりも、「自然体」「愚直」ということを大事にしたいと思っているのです。
 明後日のコンサートでも、「愚直」にベースを弾いてこようと思っています。

最近読んだ本(1)

 何年か前に開設していたブログには、読んだ本の感想を簡単に綴った記事を頻繁にアップしていました。『最近読んだ本』というタイトルでアップした一連の記事は、そのブログでは最も分量のあるコンテンツになってたと思います。
 残念ながらそのブログは記事のバックアップをとらずに閉鎖してしまったのですが、こちらのブログで再び読書録を再開しようかと思います。以前ブログで読書録を綴っていた頃より少し目が悪くなってしまったので、読書量は随分減ってしまいましたが(笑)、少しずつ…。

 再開第一弾はこちらの本。

 1991年にサンリオから刊行され、その後廃刊となっていたものですが、最近絶版・レア本を皆さまの投票で復刻 復刊ドットコムより復刊・発売されました。

 谷山浩子さんと言えば…、いや、私がここで改めて言うまでもないですね(笑)。その谷山さんの手になる小説『悲しみの時計少女』、最初のページからもうその独特な世界に引き込まれてしまいます。

 なにしろ、主人公は“時計中毒患者”なのですよ。

 グロテスクな雰囲気を持つファンタジー、といった感じでお話は進んでいきます。一応、小説の“舞台”はJR根岸線横須賀線沿線の横浜〜鎌倉あたりに設定されているようなので、ご当地やお近くにお住まいの方が読まれるとまた一段と不思議な感覚を持たれるのでは。
 全編で200ページちょっとのお話ですが、読み進めていくうち、次第にサスペンス/ミステリの様相を帯びてきます。最後20ページくらいの展開がすごい!それ以前の、とりとめもないと思えたエピソードがぐぐーっと集約されてきて、驚きのエンディングが導かれる、という感じ。
 いやー、とても面白い小説ですよ。なんでこれが廃刊の憂き目にあったのかが理解できません。ミステリのネタばらしほど無粋な振る舞いもないのでこれ以上は書かないことにしますので(^^;;、興味を持たれた方には是非ご自分でお読み頂きたい作品です。

 とはいえすでに一度廃刊となった作品。幸い本日(2010年10月3日)の時点ではまだ「復刊ドットコム」に在庫があるようです。
 『悲しみの時計少女(谷山浩子)』 販売ページ | 絶版・レア本を皆さまの投票で復刻 復刊ドットコム
 Amazon.co.jpマーケットプレイスには中古品が何点か出品されています(これも2010年10月3日現在の話ですが)。
 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4387912022/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&seller=

 おすすめの一冊です〜。

「ベース」、という名の楽器。(その1)

 私は、趣味で「ベース」という楽器を弾いています。Wikipediaで『ベース』を検索しますと、このようなページが見つかります。

 ベース (弦楽器) - Wikipedia

 この記事では、上記のページその他、Wikipediaの記述などを参考にして、「ベース」と呼ばれる楽器について書いてみようかと思います。

 上記のページでは、ベースという楽器を、

  • 発音方法 ─ 音響を電気的に増幅する(エレクトリック)かそうでない(アコースティック)か
  • 演奏姿勢 ─ 楽器を縦に構える(アップライト)か、ギターに類似の演奏姿勢をとるか

という二つの視点から、次の4種類に分類しています。

  1. アコースティックかつアップライトであるもの
  2. アコースティックであり、アップライトでないもの
  3. エレクトリックかつアップライトであるもの
  4. エレクトリックであり、アップライトでないもの

 この分類の仕方は非常に明快ですので、これに沿っていろいろ考えていこうと思います。

 まずは、「1.アコースティックかつアップライトであるもの」。
 この種の楽器の代表格は「コントラバス」。いろいろな言語で見てみますと、この「コントラバス」系の名称で呼ばれる事が大多数ですが、英語では「ダブルベース」と呼ばれます。この「コントラバス」系の名称及び英語での「ダブルベース」が正式の名称です。
 これらの正式名称の他に、この楽器は別称が多く存在します。
 「アコースティック・ベース」(『エレクトリックである』ベースと対比して)、「アップライト・ベース」(スパニッシュ・スタイルで演奏するベースと対比して)、「ストリングベース(弦バス)」(低音の管楽器と対比して)などなど。
 日本では「ウッドベース」と呼ばれる事もあり、おそらく低音の金管楽器と対比しての呼び名かと思いますがこれはいわゆる“和製英語”のようで、海外では使われません。
 別称が多くあるせいか、これらの楽器をいちいち別物として区別しようとする意見をネット上などでたまに見かけますが、同じ楽器ですからね(笑)。間違えないで下さい。

 しかし混乱が起きるのも無理はないのです。単に「アコースティック・ベース」と言えば「2.」のカテゴリに属する楽器もアコースティックですし、「アップライト・ベース」とだけ言えば「3.」のカテゴリに属する楽器も含まれるからです。
 「2.」、「3.」のカテゴリに属する楽器は、知名度がぐっと上がってきたのはごく近年になってからの事で、そのためこれらの楽器の実態についてはあまり広く浸透していない事も、上記のような混乱を生み出す一因になっているのかもしれません。

 …というわけで「2.」、「3.」のカテゴリに属する楽器について少し調べてみたところ、私も知らなかった事がいろいろわかって勉強になりました。

 「2.アコースティックであり、アップライトでないもの」の代表格は、現在では「アコースティック・ベース・ギター」です。私は最近までこの種の楽器は「4.」のカテゴリに属する楽器を元にして、アコースティックギターに類似した共鳴胴を持たせたものかと考えていたのですが、実際の事情はそのような単純なものではありませんでした。
 メキシコ音楽では「ギタロン」や「バホセスト」などの低音撥弦楽器が用いられるのですが、「アコースティック・ベース・ギター」なる楽器が生まれた背景には、このような楽器の存在もあったようです。
 ポルトガルには「ヴィオラ・バイショ」と呼ばれる低音の弦楽器があるそうです。「ヴィオラ」という名称で勘違いしがちですが(ああさらにまた混乱が(^^;;)、これは「ギター」の事です。「バイショ」とは「ベース、低音」という意味。つまり「ヴィオラ・バイショ」とは「低音のギター」の事。
 ラテン系の音楽では、ずっと昔から「2.」のカテゴリに属する低音弦楽器がよく用いられてきたようですね。

 「3.エレクトリックかつアップライトであるもの」。「エレクトリック・アップライト・ベース」がこのカテゴリに属します。
 1951年にアメリカのフェンダー社が発売した『プレシジョン・ベース』という製品が市場で大きな成功をおさめたため、一般的にただ「エレクトリック・ベース」と言った場合には「4.」のカテゴリに属する楽器を指す事が多いのですが、実はこちらの「エレクトリック・アップライト・ベース」のほうがフェンダーの『プレシジョン・ベース』よりも早く、1930年代に既に製品化されており、しかも複数のメーカーから発売されていたようです。
 そのうちの一社が、後にビートルズのメンバーの愛器となる楽器を生み出して名を上げる事となるリッケンバッカー社。日本語公式サイトhttp://www.rickenbacker-jp.com/jp/top.htmlの『ヒストリー』のページには、

リッケンバッカー・エレクトロ・ストリング社の楽器の仲間は、すべて幾つかのホースシュー・マグネット・ピックアップを装着して誕生しました。ギターやマンドリン以外にも、完全な電気ベース、バイオリン、チェロ、ビオラを発案しました。

http://www.rickenbacker-jp.com/jp/history_a.html

と記載されています。
 ではこの「エレクトリック・アップライト・ベース」が当初商業的に失敗し、一度はすたれてしまう事になったのはなぜか。英語版Wikipediaの記事Electric upright bass - Wikipediaには、その当時にはベースの低音を扱うのに充分な性能のピックアップや増幅装置がなかったという旨の記述があります。

 そして最後のカテゴリ、「4.エレクトリックであり、アップライトでないもの」。これは先に述べたフェンダープレシジョン・ベース』を祖とし、進化と発展を続けて現在に至っている「エレクトリック・ベース」という楽器です。スパニッシュ・スタイル(ギターのような演奏スタイル)で演奏されるため、「(エレクトリック・)ベース・ギター」とも呼ばれます。
 ところでこのカテゴリの楽器、現在世にあるのは確かに『プレシジョン・ベース』を祖とするものなのですが、元祖は『プレシジョン・ベース』ではなく、これまた1930年代に「エレクトリックであり、アップライトでない」低音弦楽器が発表されていたようです。

Paul Tutmarc, Inventor of the First Electric Guitar

 上記のページに載っているカタログでは「ベース・フィドル(Bass Fiddle)」という名称で呼ばれていますが、実はこの「ベース・フィドル」という語も数多くあるコントラバスの別称の一つです。

 Tutmarc氏の発明した"Bass Fiddle"があまり受け入れられる事なく世に埋もれてしまった理由はわかりませんが、同時期に登場していた初期の「エレクトリック・アップライト・ベース」同様、やはりピックアップやアンプの性能の問題だったのかもしれませんね。
 楽器に詳しい方ならここでピンとくると思いますが、フェンダー社を興したレオ・フェンダー氏はもともとラジオ技術者で、エレクトロニクスの専門知識がありました。世界で最初に商業的成功をおさめた「エレクトリック・ベース」が彼の手になるものだったのは、そのあたりにも一つの理由があるように思われます。

 最近のポピュラー音楽ではベースパートを担当する楽器も多様化してきていますが、上記の4分類に従って区別すればわかりやすいと思います。

 さて、この記事のタイトルには「(その1)」と付けました。この記事はもともと「ベース」と呼ばれる一群の楽器の名称についての誤解を解くつもりで書き始めたのですが、書いているうちにさらに踏み込んで書いてみたい事柄が出てきました。続けて書き進めていくととりとめのない話になってしまいそうなので、一旦ここで一区切りとします。
 後日書く予定の「(その2)」では、「エレクトリック・ベース」を中心に、再びベースについて考えてみようと考えています。

※この記事は以下を参考にして書きました。

運用の妙は一心に存す

 記事タイトルは、『宋史』岳飛伝にある言葉です。「戦術を学んでも、それを臨機応変に活用するのはその人の心一つにかかっており、ただ学び覚えただけでは役に立たない」、そのような意味だそうです。
 私は歴史に詳しくないので、正確な事は他をあたって調べて頂いたほうがいいと思いますが、岳飛は中国南宋の武将で、上記の言葉は、彼が若い時に師との問答の中で発した言葉だそうです。なんだかすごい人ですね(^^;;。

 私はあまり外食を好みません。もともと引きこもり体質なもんで(苦笑)。ただ、ここ一、二ヶ月、よく遠出をしましたので、自然と外で食事をする機会も多くなっていました。
 最近は、店に入ると店員さんが客の人数をきいて席に案内する、というところが多くなりましたね。まあ、席に案内してもらう、と言うか、強制的に席を割り当てられる、と言うか…(笑)。
 窓際の明るい席が良い、という人もいれば、奥まったところの方が落ち着くので好き、という人もいるでしょう。一人だけど、もし空いているならテーブルを一つ使いたいという時もあるし。そのためにわざわざ混む時間を避けたり、なんて人もいると思います。客の要望もそれぞれなので、店の都合ばかりを押し付けられてもねえ。
 …なーんて思っちゃったりするんですが、ワガママが過ぎますかね(^^;;?でもまあ、私は店員さんの案内を無視した事はないですけどね。

 ただ、先日、とある居酒屋に入った時、店員さんの案内の仕方に少し疑問を感じた事がありました。
 「タバコはお吸いになりますか」と訊ねられたので、「いいえ、吸いません」と答えたのですが、「ではこちらへ」と案内されたのは、ものすごい勢いでタバコをふかすお客さんの近くの席でした。何それ。まあ、その時は時間的にもう真夜中近くて、飲み食いは軽く済ませて早く帰って寝たかったので、そのまま黙って案内された席につきましたけど…。
 あの店員さんは何のために「タバコを吸うか」と訊ねたのでしょう。私はタバコは吸わないし、吸わされるのもイヤなので「吸わない」と答えたのですがね。私、一瞬マジで(この店員アタマおかしいんじゃねーの)って思っちゃいましたよ(^^;;。
 その居酒屋は、日本全国のみならず海外にも飲食店を出店している企業が各地でチェーン展開をしているお店のうちの一軒でして…、まあ、他所ではこんな事はないと信じたいですが。

 ファミレス等の飲食店での型にはまったマニュアル通りのサービスについて、私は、あまり心地よくは感じていませんが、頭ごなしに否定するつもりもありません。あまり手数をかけさせるというのも申し訳ないと思うので、店員さんの指示・案内には従っています。
 ただ、接客マニュアル記載の項目をいつも型通りに適用して処理していく、という接客法はとても幼稚な物で、プロとしてお給料をもらえる仕事ではないと思います。
 上記の、私の経験したケースでいえば、できれば「禁煙」という条件をもう少し重要視して欲しかったです。完全無視、てのは悲しかった。禁煙席と喫煙席とを完全に分けられなくても、少し距離を離す配慮をしてもらえれば、私もこんなに根に持たないですよ。あるいは、店内の空調設備について把握し、距離が近くてもタバコの煙の流れにくい席へ案内されたりしたら、逆に高評価しちゃうけどなー。

 「運用の妙は一心に存す」。岳飛の言葉は、血で血を洗う戦場以外でも生かせるのではないでしょうか。マニュアルに羅列された無味乾燥な文章をただ暗記しても役に立たない。そこからプロの接客を生み出すのも、やはり人の心の一つ、ではないでしょうか。

おとのもり一家 もうひとつの音楽会 No.9

 日中の暑さはまだまだ厳しいですが、昨日あたりから夜は随分と涼しくなりました。いやー、それにしても何というしつこい残暑でしょうか。

 さて、このブログもまたまた前回更新より随分間があいてしまいました。ちょうど一ヶ月か。今回の更新は音楽会の告知です。


・おとのもり一家 もうひとつの音楽会 No.9

 と き:2010年10月11日(月・祝) 13:30開演(13:00開場)
 ところ:名古屋市港文化小劇場
 (会場の所在地・交通案内は港文化小劇場:施設のご案内のサイトでご覧下さい)
 チラシはこちら。↓

 今回の音楽会は、日程が運動会シーズンとガチで重なってしまい参加される方が少ないので、いつもより小じんまりした会になるようです。なんでそんな日にぶつけたかなー。って、ちょっと思っちゃいますけども……、名古屋市内の各区(中区を除く)にある「文化小劇場」は、すっっっっっっっっっっっっごく小さいながら、でも舞台の作りなどもしっかりした、良いホールなんですよ。使用料もお手頃で人気が高く、休日にホールを押さえるのはなかなか難しいそうです。たぶん、この日しか空いてなかったんですねー(^^;;。

 『もうひとつの音楽会』の演し物についてですが、これは二つの柱がありまして、一つは“弦楽器”。もう一つは“レイトスターター”。そう思ってチラシを見て頂くと、今回の演目の中に、“1980年代フォーク・ニューミュージック全盛期を飾る珠玉の名曲たち”が散見されると思います(私も中島みゆきの『時代』を弾きますよ!)。

 上手いとか下手とか関係ない、下手なのはわかってるし今から頑張ってもほぼ確実に追いつけないだろう、けどあっさりあきらめたくない。新しいも古いも、良いも悪いもなく、ただ…、

 「大好きな曲を自分で弾いてみたい」

 そんな人たちが集まってする音楽会です。
 会場が、市の中心部からはちょっと遠いですが、港の近く、海の近くです。名古屋市中心部とは、少し空気も変わります。
 秋の午後。もしお暇でしたら、皆様、聴きにいらしてくださいませ。